おしゃべりも一人遊びも上手
3歳の娘は、息子とは全然違う性格をしている。
どちらかと言えば温和な性格の息子に比べて、意思表示がはっきりしている。そのため癇癪も強くて、親としてウンザリしたような気持にさせられることも、ままある。
でも一人遊びをしている時の娘は、ものすごく穏やかな「お母さん」になる。
昨日は小さなぬいぐるみを5つ並べてピクニックごっこ(おそらくピクニックごっこだと思う)をしていた。そして彼女の赤ちゃんであるところのぬいぐるみたちに優しく語りかけている。
「あらあら、こぼしちゃったの」
「お口を拭きましょう」
「こっちが布団ですから、こっちで寝てください」
恐らくこれは、私の姿を見たのではなくて、私が読んでいる【絵本】のお母さんを真似しているんだと思う。
私はと言えば、
「早くして」
「ほら、言ったでしょう」
「だめだめ、それはだめ」
の三つを繰り返し言ってしまっている気がする。
いつの間にか娘はおしゃべりも上手になって、一人遊びも上手になった。
フィクションの中の母親像を苦々しく思う事もあるけれど、娘が【母親】としての雛形を優しく穏やかなものとして自分の中に作れているのなら、それはそれでいいのかな。
と、思ったこの頃である。
詩的な息子氏
昨日の夜、息子と娘と二人でお風呂に入っていた時の事。息子がものすごく詩的なことを言った。
ちなみに、どうでもよい事なのだけれど我が家の風呂率は95%が私と入っていると考えているので、先日計算してみたのだ。
夫が子供たちと風呂に入るのはひと月にせいぜい3回程度。
年計算で36回。
年間365日の場合、私が風呂に入れている率は365-36=329
329/365=90.1369
90%
私の感覚と現実には5%の乖離がある。5%の乖離はおそらく、夫への不満(もっと風呂に入れてくれても良いじゃないか、といった程度の)が生み出す誤差だと思われる。
それは置いておき、とにかく何時ものように子供たちと風呂に入っていた時に、唐突に息子が言ったのだ。
「海のピアノを奏でているんだ」
6歳で「奏でる」という表現が出たことにまず驚いた。出てきた言葉は詩的で、鋭敏な感覚だと思った。
それが、小さなバスタブに張られた水をバッシャンバッシャンと掻き混ぜて波を作っているのでなければ心底感動した。実際には水をバッシャンバッシャンやりながら波を作って大騒ぎだ。
海のピアノを奏でる…という表現をイメージしようと考えている私のすぐそばのバスタブで(家が狭いから仕方がない)息子はお尻を突き出して(お尻の穴を丸見えにしながら)ブリブリーとやっているのだから、呆れて何も言えない。
あれかな、君はアマデウス的天才方面に向かうのかな?
それはそれで、苦労の多い世界だと思うけれども、お母さん止やしないよ。そして止められる気もしないよ。
今後も、こうして楽しませておくれね。